“friend=友達“じゃない?

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friends=友達?

英語と日本語の単語って、カバーする範囲が違ったりします。

“room”と聞くと、“部屋”だと思いがちですが、英語の本などを読んでいると、むしろ“空いている空間”という意味で使われる方が多いです。

“Would you like some dessert?” – “No, thanks. I don’t have room.” (もうお腹いっぱい)

“Is there any room for me?”(座る場所あるかな?)- “Yep, you can sit here.”

などなど。

“部屋”という意味だと通じないですね。

私は、“friend“の意味も、日本語の“友達”とはけっこう違う気がしています。

英語圏の人にとって、“friend”は、ちょっとした知り合いから親友、果ては恋愛感情を持つ関係まで幅広く含みます。

日本語だと“友達”と“知り合い”は明らかに違うのですが、英語ではそれが“friend”の一言で言い表されていると思います。

それは文化の違いからきています。

特にアメリカでは、会った瞬間から“friend”になり、笑顔を交わしフランクに話します。

頼み事も聞いてあげたり頼んでみたり、速攻で近い関係にもなります。

でも、切り離す時も一瞬です。

長く続く“friendship“もあれば、“See you.”と別れた瞬間に終わる“friendship”もあります。

日本人は、”知り合って“親交を深めて“友達”になります。

一旦“友達”になると、何か大きな理由がない限り“友達”でなくなることはないと思います。

かなり親しくなって初めて、“友達”だからお願いをしたりされたりし始めます。

今まで、Hello Talk、Interpals、Language Exchange、Lang-8など、色々な言語交換サイトで“friend”に出会ってきました。

その中で、距離感が違うなあと実感したことが何度かあり、“friend“と“友達”はイコールではないなと思ってきました。

Hello Talk で何度かメッセージをやりとりした30代の男の人がいました。

南米の国から日本に働きに来ている人だったようです。

日本語を話せないので職場で友達ができない、と言うので、日本語を少し教えてあげていました。

少しすると、“Are we friends?”と聞いてきました。

“Yes, we are friends.”と、あまり考えずに答えたら、友達なら仕事を紹介してほしい、といきなり言われました。

紹介できるような仕事なんて知らないし、よく知らない人を紹介はできない、とやんわり断ると、友達なのに助けてくれないのか?と責めてきました。

それで、だんだんやりとりに応じなくなってしまいました。

friendは幅広い

やはりHello Talkで知り合ったアメリカ人で、熱心に日本人の英語を添削してあげている人がいました。

私も、英検1級のために書いていたエッセイを見てもらってアドバイスをもらったりしていました。

業者に添削をしてもらうと結構高くつくのですが、その人は時間があるからと無償でいつでも丁寧に応対してくれました。私にだけでなく、いろんな人のお手伝いをしているようでした。

そんな人が、結構な割合でいます。立ち入った話をするでもなく、それ以上近しくなるわけでもなく、でも“friend”の関係です。

Language Exchangeで出会ったオーストラリア人のMandyは、知り合ってすぐに家族で日本に来たときに会ったので、急速に友達になりました。

日本には年に1度は来ていて、私の家にも来てくれました。

私も娘と2人でBrisbaneのMandyの家に10日間泊めてもらいました。

Mandyもその家族も、とてもオープンに迎え入れてくれて、友だちの輪に入れてくれたり、車を自由に使わせてくれたり、私たちを信頼してくれていました。

でも、依存し合わないというか、同じ家で寝泊まりしたり食事をしたりしたけれど、深入りはしない距離感が、私にはとても心地よかったです。

お互い自立した関係です。

別の機会に、カナダ人の家族を浅草に案内したことがありました。初めて会った日だったのに、カナダの家にぜひ泊まりにきてね、と言ってくれました。

多分、本当にカナダに行ったら家に泊めてくれると思います。

日本人同士だと知り合ってすぐの人をいきなり家に泊める事はなかなかないと思うのですが、少なくともアメリカやカナダ、オーストラリアの人は、会ってすぐ“friend”になり、心を開いてくれるのです。

決定的に違うところ

急速に近くなれるところは素敵だなと思います。

でも、日本語の“友達”とは違うことを強烈に知ることになる経験もありました。

あなたなら“友達“のためなら、多少無理しても助けてあげたりしませんか。

そして、助けてもらったら恩を感じて、自分も何かできることがあれば力になろうと思いませんか。

“friend”が“友達”と違うのは、今は近くても、一旦違うとなるとすぐに関係が終了することです。

それまでどんなに力を貸してあげても、それはそれ。

フィリピン人の英会話講師ととても親しくなって、家族で彼らに会いにセブにも行きました。

その中でもとても親しくなった講師は20代の息子のような男の子でした。

日本を訪れてみたいというので、その当時はフィリピン人にはなかなかビザが下りず、受け入れる側として書類を揃え、夫は保証人にもなってくれました。

やっとのことで日本に来て、私の友達も紹介し、日本にもたくさんの知り合いができ、その後も何度か日本に来て、しまいには英会話学校の講師として日本で働くまでになりました。

もともと息子のようなところがあり、私にはあまり気を遣わず言いたいことも言い合えるいい関係だと思っていたのですが、ある時、それを全て精算するようなことが起りました。

家族の誕生日には必ずメッセージをくれるのに、私の誕生日は2年連続で忘れていました。フィリピン人にとって、誕生日はとても大切な日です。

あまりに私に気を使わなすぎだと思って、“I wonder if you think of me as a friend. You may not forget your close friend’s birthday”

とちくりと言うと、自分のfriendshipを疑われたことにすごく怒ってしまいました。

一言、誕生日を忘れてごめん、と言って欲しかっただけなのに、プライドが高い国民性なので謝ることができなかったんだと思います。

その後、私のメッセージには一切返信せず、1週間くらいして「今までしてくれたことには本当に感謝している。さようなら」と一言送ってきて、その後、私の謝罪にも返信してきませんでした。

日本に来るたびにうちに泊まって、あちこち家族旅行も一緒に行って、家族の一員のように思っていたので、私は本当にショックでした。

私の中では裏切られた気持ちが大きく、2ヶ月後にあっけらかんと“お土産があるから持って行ってもいいか“とメッセージをもらったときには、もう関わりたくありませんでした。

私の“友達”の括りにはもう入れられなかったのです。

今でも家族の誕生日にはメッセージをくれるので、返事はしますが、“他に頼める人がいないから書類を英訳してほしい“というようなメッセージはスルーしています。

また少しずつ距離を詰められたら嫌だと思ってしまいます。

向こうは向こうで、他にもたくさんのfriendsがいるので、1人の世話好きな日本人のfriendは相手してくれなくなったくらいにしか思っていないと思います。

手をかせる時は貸す、でも、それはあくまでこちらの好意でやっていることで、相手に相応のリターンを求めてはいけない。

たくさんのfriendsができて嬉しくて仕方ない時期もあったけれど、“友達”の距離感を間違えないよう慎重になりました。

でも、めげずに、巡り合ったfriendshipは育てていきたいと思っています。

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